あゝミゼラブル

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人生はコンプレックスを克服したものが勝つ

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こんにちは。めがねです。

あなたのコンプレックスはどこから?

私は中学時代担任に大勢の前で人格を否定されてから!

 

 

誰しもひとつやふたつ抱えているコンプレックスにどう向き合っていくのが正解かという話。結論から言えば最終的にはコンプレックスを克服したものが勝つ。「拗らせ」や「バブみ」という言葉が流行れど、それはあなたの短所を面白おかしく肯定してくれる逃げの言葉にすぎず、根本的な解決にはならない。

 

それを克服するにはどこかで折り合いをつけ妥協する、無くなるまで向き合う、他の長所でおぎなうなど方法は多々ある。どう解決するかはそれぞれだけど、コンプレックスを個性とし自虐に走ることだけは避けなければならない。なぜなら自虐とは「相手に対する肯定の強要」だからである。

 

例を挙げれば、「俺はどうせダメな人間だから(でも愛してくれるよね?)」「どうせ馬鹿だし(そんなことないよって言ってくれるよね?)」と、自虐する背後で肯定することを無意識に強要しているに他ならないからである。この無意識にというのが厄介であり、自虐している本人は何の負担もないが、肯定させられている身にとっては負担が募るばかりで、これが繰り返されればやがて相手との距離は遠のいていくだろう。

 

しかし、自虐や自傷は自己肯定感を養うことでやめることができる。自分で自分を肯定し、肯定先を他人に依存しなくなったとき、あなたは自虐をやめられるだろうし自傷行為も減るだろう。寂しさという名の不足した肯定感を埋めるために好きでもない男に抱かれる日々もなくなるだろう。自身の評価を外部に委ねるのではなく自分の中で確立させようという話だ。

 

あなたの身近にいる有能な人物、もしくは音楽や絵など何かしら表現している人を思い浮かべてほしい。彼らは往々にして自説やこだわりを確立している。コンプレックスはあれど決してそれを表には出さない。もしくは出す必要がない。自説やこだわりをもって自分の中で完結できているからである。意外な一面として表に出すこともあるかもしれないがそれは他人に肯定されたいからではなく自分や自分の作品に付加価値を加えるためだ。コンプレックスを外に出し他人に肯定を求めているということは自説が確立していなく、未熟な面もあるということの裏返しなのである。

 

 

 

とにもかくにもコンプレックスを無条件で肯定してくれる人間など親と自分以外にいない。他人に肯定されることを求め右往左往するくらいなら、それと向き合いながら自分を肯定し、自己完結していくほうが人生はより豊かなものになる。コンプレックスは個性にはなれど魅力にはなりえない。「俺はつまらない人間だから」そう言い相手に否定されることを待つくらいなら、ガーキャン上スマでも練習していた方がよほど有意義である。

 

(おわり)